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強制わいせつ

最高裁判所第3小法廷判決/平成19年(あ)第1785号

主文

 原判決及び第1審判決を破棄する。
 被告人は無罪。

理由

 弁護人秋山賢三ほかの上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
 しかしながら,所論にかんがみ,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。
第1 本件公訴事実及び本件の経過
 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成18年4月18日午前7時56分ころから同日午前8時3分ころまでの間,東京都世田谷区内の小田急電鉄株式会社成城学園前駅から下北沢駅に至るまでの間を走行中の電車内において,乗客である当時17歳の女性に対し,パンティの中に左手を差し入れその陰部を手指でもてあそぶなどし,もって強いてわいせつな行為をした」というものである。
 第1審判決は,上記のとおりの被害を受けたとする上記女性(以下「A」という。)の供述に信用性を認め,公訴事実と同旨の犯罪事実を認定して,被告人を懲役1年10月に処し,被告人からの控訴に対し,原判決も,第1審判決の事実認定を是認して,控訴を棄却した。
第2 当裁判所の判断
1 当審における事実誤認の主張に関する審査は,当審が法律審であることを原則としていることにかんがみ,原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであるが,本件のような満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから,これらの点を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる。
2 関係証拠によれば,次の事実が明らかである。
(1) 被告人は,通勤のため,本件当日の午前7時34分ころ,小田急線鶴川駅から,綾瀬行き準急の前から5両目の車両に,Aは,通学のため,同日午前7時44分ころ,読売ランド前駅から,同車両に乗った。被告人とAは,遅くとも,本件電車が同日午前7時56分ころ成城学園前駅を発車して間もなくしてから,満員の上記車両の,進行方向に向かって左側の前から2番目のドア付近に,互いの左半身付近が接するような体勢で,向かい合うような形で立っていた。
(2) Aは,本件電車が下北沢駅に着く直前,左手で被告人のネクタイをつかみ,「電車降りましょう。」と声を掛けた。これに対して,被告人は,声を荒げて,「何ですか。」などと言い,Aが「あなた今痴漢をしたでしょう。」と応じると,Aを離そうとして,右手でその左肩を押すなどした。本件電車は,間もなく,下北沢駅に止まり,2人は,開いたドアからホームの上に押し出された。Aは,その場にいた同駅の駅長に対し,被告人を指さし,「この人痴漢です。」と訴えた。そこで,駅長が被告人に駅長室への同行を求めると,被告人は,「おれは関係ないんだ,急いでいるんだ。」などと怒気を含んだ声で言い,駅長の制止を振り切って,車両に乗り込んだが,やがて,駅長の説得に応じて下車し,駅長室に同行した。
(3) Aが乗車してから,被告人らが降車した下北沢駅までの本件電車の停車駅は,順に,読売ランド前,生田,向ヶ丘遊園,登戸,成城学園前,下北沢である。
3 Aは,第1審公判及び検察官調書(同意採用部分)において,要旨,次のように供述している。
「読売ランド前から乗車した後,左側ドア付近に立っていると,生田を発車してすぐに,私と向かい合わせに立っていた被告人が,私の頭越しに,かばんを無理やり網棚に載せた。そこまで無理に上げる必要はないんじゃないかと思った。その後,私と被告人は,お互いの左半身がくっつくような感じで立っていた。向ヶ丘遊園を出てから痴漢に遭い,スカートの上から体を触られた後,スカートの中に手を入れられ,下着の上から陰部を触られた。登戸に着く少し前に,その手は抜かれたが,登戸を出ると,成城学園前に着く直前まで,下着の前の方から手を入れられ,陰部を直接触られた。触られている感覚から,犯人は正面にいる被告人と思ったが,されている行為を見るのが嫌だったので,目で見て確認はしなかった。成城学園前に着いてドアが開き,駅のホーム上に押し出された。被告人がまだいたらドアを替えようと思ったが,被告人を見失って迷っているうち,ドアが閉まりそうになったので,再び,同じドアから乗った。乗る直前に,被告人がいるのに気付いたが,後ろから押し込まれる感じで,また被告人と向かい合う状態になった。私が,少しでも避けようと思って体の向きを変えたため,私の左肩が被告人の体の中心にくっつくような形になった。成城学園前を出ると,今度は,スカートの中に手を入れられ,右の太ももを触られた。私は,いったん電車の外に出たのにまたするなんて許せない,捕まえたり,警察に行ったときに説明できるようにするため,しっかり見ておかなければいけないと思い,その状況を確認した。すると,スカートのすそが持ち上がっている部分に腕が入っており,ひじ,肩,顔と順番に見ていき,被告人の左手で触られていることが分かった。その後,被告人は,下着のわきから手を入れて陰部を触り,さらに,その手を抜いて,今度は,下着の前の方から手を入れて陰部を触ってきた。その間,再び,お互いの左半身がくっつくような感じになっていた。私が,下北沢に着く直前,被告人のネクタイをつかんだのと同じころ,被告人は,私の体を触るのを止めた。」
4 第1審判決は,Aの供述内容は,当時の心情も交えた具体的,迫真的なもので,その内容自体に不自然,不合理な点はなく,Aは,意識的に当時の状況を観察,把握していたというのであり,犯行内容や犯行確認状況について,勘違いや記憶の混乱等が起こることも考えにくいなどとして,被害状況及び犯人確認状況に関するAの上記供述は信用できると判示し,原判決もこれを是認している。
5 そこで検討すると,被告人は,捜査段階から一貫して犯行を否認しており,本件公訴事実を基礎付ける証拠としては,Aの供述があるのみであって,物的証拠等の客観的証拠は存しない(被告人の手指に付着していた繊維の鑑定が行われたが,Aの下着に由来するものであるかどうかは不明であった。)。被告人は,本件当時60歳であったが,前科,前歴はなく,この種の犯行を行うような性向をうかがわせる事情も記録上は見当たらない。したがって,Aの供述の信用性判断は特に慎重に行う必要があるのであるが,(1)Aが述べる痴漢被害は,相当に執ようかつ強度なものであるにもかかわらず,Aは,車内で積極的な回避行動を執っていないこと,(2)そのことと前記2(2)のAのした被告人に対する積極的な糾弾行為とは必ずしもそぐわないように思われること,また,(3)Aが,成城学園前駅でいったん下車しながら,車両を替えることなく,再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であること(原判決も「いささか不自然」とは述べている。)などを勘案すると,同駅までにAが受けたという痴漢被害に関する供述の信用性にはなお疑いをいれる余地がある。そうすると,その後にAが受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難いのであって,Aの供述の信用性を全面的に肯定した第1審判決及び原判決の判断は,必要とされる慎重さを欠くものというべきであり,これを是認することができない。被告人が公訴事実記載の犯行を行ったと断定するについては,なお合理的な疑いが残るというべきである。
第3 結論
 以上のとおり,被告人に強制わいせつ罪の成立を認めた第1審判決及びこれを維持した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
 そして,既に第1審及び原審において検察官による立証は尽くされているので,当審において自判するのが相当であるところ,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないとして,被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。
 よって,刑訴法411条3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,404条,336条により,裁判官堀籠幸男,同田原睦夫の各反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同近藤崇晴の各補足意見がある。
 裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
1 冤罪で国民を処罰するのは国家による人権侵害の最たるものであり,これを防止することは刑事裁判における最重要課題の一つである。刑事裁判の鉄則ともいわれる「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,有罪判断に必要とされる「合理的な疑いを超えた証明」の基準の理論も,突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる。
 本件では,公訴事実に当たる痴漢犯罪をめぐり,被害を受けたとされる女性(以下「A」という。)が被告人を犯人であると指摘するもののこれを補強する客観的証拠がないに等しく,他方で被告人が冤罪を主張するもののやはりこれを補強する客観的証拠に乏しいという証拠状況の下で,1審及び原審の裁判官は有罪・無罪の選択を迫られ,当審でも裁判官の意見が二つに分かれている。意見が分かれる原因を探ると,結局は「合理的な疑いを超えた証明」の原理を具体的にどのように適用するかについての考え方の違いに行き着くように思われる。そこで,この際,この点について私の考え方を明らかにして,多数意見が支持されるべき理由を補足しておきたい。
2 痴漢事件について冤罪が争われている場合に,被害者とされる女性の公判での供述内容について「詳細かつ具体的」,「迫真的」,「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な理由により信用性を肯定して有罪の根拠とする例は,公表された痴漢事件関係判決例をみただけでも少なくなく,非公表のものを含めれば相当数に上ることが推測できる。しかし,被害者女性の供述がそのようなものであっても,他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要であると考える。その理由は以下のとおりである。
ア 混雑する電車内での痴漢事件の犯行は,比較的短時間のうちに行われ,行為の態様も被害者の身体の一部に手で触る等という単純かつ類型的なものであり,犯行の動機も刹那的かつ単純なもので,被害者からみて被害を受ける原因らしいものはこれといってないという点で共通している。被害者と加害者とは見ず知らずの間柄でたまたま車内で近接した場所に乗り合わせただけの関係で,犯行の間は車内での場所的移動もなくほぼ同一の姿勢を保ったまま推移する場合がほとんどである。このように,混雑した電車の中での痴漢とされる犯罪行為は,時間的にも空間的にもまた当事者間の人的関係という点から見ても,単純かつ類型的な態様のものが多く,犯行の痕跡も(加害者の指先に付着した繊維や体液等を除いては)残らないため,「触ったか否か」という単純な事実が争われる点に特徴がある。このため,普通の能力を有する者(例えば十代後半の女性等)がその気になれば,その内容が真実である場合と,虚偽,錯覚ないし誇張等を含む場合であるとにかかわらず,法廷において「具体的で詳細」な体裁を具えた供述をすることはさほど困難でもない。その反面,弁護人が反対尋問で供述の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも,裁判官が「詳細かつ具体的」,「迫真的」あるいは「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な指標を用いて供述の中から虚偽,錯覚ないし誇張の存否を嗅ぎ分けることも,けっして容易なことではない。本件のような類型の痴漢犯罪被害者の公判における供述には,元々,事実誤認を生じさせる要素が少なからず潜んでいるのである。
イ 被害者が公判で供述する場合には,被害事実を立証するために検察官側の証人として出廷するのが一般的であり,検察官の要請により事前に面接して尋問の内容及び方法等について詳細な打ち合わせをすることは,広く行われている。痴漢犯罪について虚偽の被害申出をしたことが明らかになれば,刑事及び民事上の責任を追及されることにもなるのであるから(刑法172条,軽犯罪法1条16号,民法709条),被害者とされる女性が公判で被害事実を自ら覆す供述をすることはない。検察官としても,被害者の供述が犯行の存在を証明し公判を維持するための頼りの綱であるから,捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。この検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定(刑事訴訟規則191条の3)に添った当然のものであって,何ら非難されるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見上「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである。これを裏返して言えば,公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い,そこに事実誤認の余地が生じることになる。
ウ 満員電車内の痴漢事件については上記のような特別の事情があるのであるから,冤罪が真摯に争われている場合については,たとえ被害者女性の供述が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,弁護人の反対尋問を経てもなお「不自然・不合理な点がない」かのように見えるときであっても,供述を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う必要がある。その上で,補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み切るについては,「合理的な疑いを超えた証明」の視点から問題がないかどうか,格別に厳しい点検を欠かせない。
3 以上検討したところを踏まえてAの供述を見るに,1審及び原審の各判決が示すような「詳細かつ具体的」等の一般的・抽象的性質は具えているものの,これを超えて特別に信用性を強める方向の内容を含まず,他にこれといった補強する証拠等もないことから,上記2に挙げた事実誤認の危険が潜む典型的な被害者供述であると認められる。
 これに加えて,本件では,判決理由第2の5に指摘するとおり被害者の供述の信用性に積極的に疑いをいれるべき事実が複数存在する。その疑いは単なる直感による「疑わしさ」の表明(「なんとなく変だ」「おかしい」)の域にとどまらず,論理的に筋の通った明確な言葉によって表示され,事実によって裏づけられたものでもある。Aの供述はその信用性において一定の疑いを生じる余地を残したものであり,被告人が有罪であることに対する「合理的な疑い」を生じさせるものであるといわざるを得ないのである。
 したがって,本件では被告人が犯罪を犯していないとまでは断定できないが,逆に被告人を有罪とすることについても「合理的な疑い」が残るという,いわばグレーゾーンの証拠状況にあると判断せざるを得ない。その意味で,本件では未だ「合理的な疑いを超えた証明」がなされておらず,「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用して,無罪の判断をすべきであると考える。
4 堀籠裁判官及び田原裁判官の各反対意見の見解は,その理由とするところも含めて傾聴に値するものであり,一定の説得力ももっていると考える。しかしながら,これとは逆に,多数意見が本判決理由中で指摘し,当補足意見でやや詳しく記した理由により,Aの供述の信用性にはなお疑いをいれる余地があるとする見方も成り立ち得るのであって,こちらもそれなりに合理性をもつと評価されてよいと信じる。
 合議体による裁判の評議においては,このように,意見が二つ又はそれ以上に分かれて調整がつかない事態も生じうるところであって,その相違は各裁判官の歩んできた人生体験の中で培ってきたものの見方,考え方,価値観に由来する部分が多いのであるから,これを解消することも容易ではない。そこで,問題はこの相違をどう結論に結びつけるかであるが,私は,個人の裁判官における有罪の心証形成の場合と同様に,「合理的な疑いを超えた証明」の基準(及び「疑わしきは被告人の利益に」の原則)に十分配慮する必要があり,少なくとも本件のように合議体における複数の裁判官がAの供述の信用性に疑いをもち,しかもその疑いが単なる直感や感想を超えて論理的に筋の通った明確な言葉によって表示されている場合には,有罪に必要な「合理的な疑いを超えた証明」はなおなされていないものとして処理されることが望ましいと考える(これは,「疑わしきは被告人の利益に」の原則にも適合する。)。
 なお,当審における事実誤認の主張に関する審査につき,当審が法律審であることを原則としていることから「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」とする基本的立場に立つことは,堀籠裁判官指摘のとおりである。しかし,少なくとも有罪判決を破棄自判して無罪とする場合については,冤罪防止の理念を実効あらしめるという観点から,文献等に例示される典型的な論理則や経験則に限ることなく,我々が社会生活の中で体得する広い意味での経験則ないし一般的なものの見方も「論理則,経験則等」に含まれると解するのが相当である。多数意見はこのような理解の上に立って,Aの供述の信用性を判断し,その上で「合理的な疑いを超えた証明」の基準に照らし,なお「合理的な疑いが残る」として無罪の判断を示しているのであるから,この点について上記基本的立場から見てもなんら問題がないことは明らかである。
 裁判官近藤崇晴の補足意見は,次のとおりである。
 私は,被告人を無罪とする多数意見に与するものであり,また,多数意見の立場を敷衍する那須裁判官の補足意見に共鳴するものであるが,なお若干の補足をしておきたい。
 本件は,満員電車の中でのいわゆる痴漢事件であり,被害者とされる女性Aが被告人から強制わいせつの被害を受けた旨を具体的に供述しているのに対し,被告人は終始一貫して犯行を否認している。そして,被告人の犯人性については,他に目撃証人その他の有力な証拠が存在しない。すなわち,本件においては,「被害者」の供述と被告人の供述とがいわば水掛け論になっているのであり,それぞれの供述内容をその他の証拠関係に照らして十分に検討してみてもそれぞれに疑いが残り,結局真偽不明であると考えるほかないのであれば,公訴事実は証明されていないことになる。言い換えるならば,本件公訴事実が証明されているかどうかは,Aの供述が信用できるかどうかにすべてが係っていると言うことができる。このような場合,一般的に,被害者とされる女性の供述内容が虚偽である,あるいは,勘違いや記憶違いによるものであるとしても,これが真実に反すると断定することは著しく困難なのであるから,「被害者」の供述内容が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で「不自然・不合理な点がない」といった表面的な理由だけで,その信用性をたやすく肯定することには大きな危険が伴う。この点,那須裁判官の補足意見が指摘するとおりである。また,「被害者」の供述するところはたやすくこれを信用し,被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう,厳に自戒する必要がある。
 本件においては,多数意見が指摘するように,Aの供述には幾つかの疑問点があり,その反面,被告人にこの種の犯行(公訴事実のとおりであれば,痴漢の中でもかなり悪質な部類に属する。)を行う性向・性癖があることをうかがわせるような事情は記録上見当たらないのであって,これらの諸点を総合勘案するならば,Aの供述の信用性には合理的な疑いをいれる余地があるというべきである。もちろん,これらの諸点によっても,Aの供述が真実に反するもので被告人は本件犯行を行っていないと断定できるわけではなく,ことの真偽は不明だということである。
 上告裁判所は,事後審査によって,「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある」(刑訴法411条3号)かどうかを判断するのであるが,言うまでもなく,そのことは,公訴事実の真偽が不明である場合には原判決の事実認定を維持すべきであるということを意味するものではない。上告裁判所は,原判決の事実認定の当否を検討すべきであると考える場合には,記録を検討して自らの事実認定を脳裡に描きながら,原判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかを検討するという思考操作をせざるを得ない。その結果,原判決の事実認定に合理的な疑いが残ると判断するのであれば,原判決には「事実の誤認」があることになり,それが「判決に影響を及ぼすべき重大な」ものであって,「原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるとき」は,原判決を破棄することができるのである。殊に,原判決が有罪判決であって,その有罪とした根拠である事実認定に合理的な疑いが残るのであれば,原判決を破棄することは,最終審たる最高裁判所の職責とするところであって,事後審制であることを理由にあたかも立証責任を転換したかのごとき結論を採ることは許されないと信ずるものである。
 裁判官堀籠幸男の反対意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見には反対であり,原判決に事実誤認はなく,本件上告は棄却すべきものと考える。その理由は次のとおりである。
第1 事実誤認の主張に関する最高裁判所の審査の在り方
1 刑訴法は,刑事事件の上訴審については,原判決に違法又は不当な点はないかを審査するという事後審制を採用している。上訴審で事実認定の適否が問題となる場合には,上訴審は,自ら事件について心証を形成するのではなく,原判決の認定に論理則違反や経験則違反がないか又はこれに準ずる程度に不合理な判断をしていないかを審理するものである。そして,基本的に法律審である最高裁判所が事実誤認の主張に関し審査を行う場合には,その審査は,控訴審以上に徹底した事後審査でなければならない。最高裁判所の審査は,書面審査により行うものであるから,原判決に事実誤認があるというためには,原判決の判断が論理則や経験則に反するか又はこれに準ずる程度にその判断が不合理であると明らかに認められる場合でなければならない。刑訴法411条3号が「重大な事実の誤認」と規定しているのも,このことを意味するものというべきである。
2 刑訴法は,第一審の審理については,直接主義,口頭主義を採用しており,証人や被告人の供述の信用性が問題となる場合,第一審の裁判所は,証人や被告人の供述態度の誠実性,供述内容の具体性・合理性,論理の一貫性のみならず,論告・弁論で当事者から示された経験時の条件,記憶やその正確性,他の証拠との整合性あるいは矛盾等についての指摘を踏まえ,その信用性を総合的に検討して判断することになるのであり,その判断は,まさしく経験則・論理則に照らして行われるのである。証人や被告人の供述の信用性についての上訴審の審査は,その供述を直接的に見聞して行うものではなく,特に最高裁判所では書面のみを通じて行うものであるから,その供述の信用性についての判断は,経験則や論理則に違反しているか又はこれに準ずる程度に明らかに不合理と認められるかどうかの観点から行うべきものである。
第2 事実誤認の有無
1 本件における争点は,被害者Aの供述と被告人の供述とでは,どちらの供述の方が信用性があるかという点である。
 被害者Aの供述の要旨は,多数意見が要約しているとおりであるが,Aは長時間にわたり尋問を受け,弁護人の厳しい反対尋問にも耐え,被害の状況についての供述は,詳細かつ具体的で,迫真的であり,その内容自体にも不自然,不合理な点はなく,覚えている点については明確に述べ,記憶のない点については「分からない」と答えており,Aの供述には信用性があることが十分うかがえるのである。
 多数意見は,Aの供述について,犯人の特定に関し疑問があるというのではなく,被害事実の存在自体が疑問であるというものである。すなわち,多数意見は,被害事実の存在自体が疑問であるから,Aが虚偽の供述をしている疑いがあるというのである。しかし,田原裁判官が指摘するように,Aが殊更虚偽の被害事実を申し立てる動機をうかがわせるような事情は,記録を精査検討してみても全く存しないのである。
2 そこで,次に被害者Aの供述からその信用性に対し疑いを生じさせるような事情があるといえるかどうかが問題となる。
(1) 多数意見は,先ず,被害者Aが車内で積極的な回避行動を執っていない点で,Aの供述の信用性に疑いがあるという。この点のAの供述の信用性を検討するに際しては,朝の通勤・通学時における小田急線の急行・準急の混雑の程度を認識した上で行う必要がある。この時間帯の小田急線の車内は,超過密であって,立っている乗客は,その場で身をよじる程度の動きしかできないことは,社会一般に広く知れ渡っているところであり,証拠からも認定することができるのである。身動き困難な超満員電車の中で被害に遭った場合,これを避けることは困難であり,また,犯人との争いになることや周囲の乗客の関心の的となることに対する気後れ,羞恥心などから,我慢していることは十分にあり得ることであり,Aがその場からの離脱や制止などの回避行動を執らなかったとしても,これを不自然ということはできないと考える。Aが回避行動を執らなかったことをもってAの供述の信用性を否定することは,同種痴漢被害事件において,しばしば生ずる事情を無視した判断といわなければならない。
(2) 次に,多数意見は,痴漢の被害に対し回避行動を執らなかったAが,下北沢駅で被告人のネクタイをつかむという積極的な糾弾行動に出たことは,必ずしもそぐわないという。しかし,犯人との争いになることや周囲の乗客の関心の的となることに対する気後れ,羞恥心などから短い間のこととして我慢していた性的被害者が,執拗に被害を受けて我慢の限界に達し,犯人を捕らえるため,次の停車駅近くになったときに,反撃的行為に出ることは十分にあり得ることであり,非力な少女の行為として,犯人のネクタイをつかむことは有効な方法であるといえるから,この点をもってAの供述の信用性を否定するのは,無理というべきである。
(3) また,多数意見は,Aが成城学園前駅でいったん下車しながら,車両を替えることなく,再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であるという。しかしながら,Aは,成城学園前駅では乗客の乗降のためプラットホームに押し出され,他のドアから乗車することも考えたが,犯人の姿を見失ったので,迷っているうちに,ドアが閉まりそうになったため,再び同じドアから電車に入ったところ,たまたま同じ位置のところに押し戻された旨供述しているのである。Aは一度下車しており,加えて犯人の姿が見えなくなったというのであるから,乗車し直せば犯人との位置が離れるであろうと考えることは自然であり,同じドアから再び乗車したことをもって不自然ということはできないというべきである。そして,同じ位置に戻ったのは,Aの意思によるものではなく,押し込まれた結果にすぎないのである。多数意見は,「再び被告人のそばに乗車している」と判示するが,これがAの意思に基づくものと認定しているとすれば,この時間帯における通勤・通学電車が極めて混雑し,多数の乗客が車内に押し入るように乗り込んで来るものであることに対する認識に欠ける判断であるといわなければならない。この点のAの供述内容は自然であり,これをもって不自然,不合理というのは,無理である。
(4) 以上述べたように,多数意見がAの供述の信用性を否定する理由として挙げる第2の5の(1),(2)及び(3)は,いずれも理由としては極めて薄弱であり,このような薄弱な理由を3点合わせたからといって,その薄弱性が是正されるというものではなく,多数意見が指摘するような理由のみではAの供述の信用性を否定することはできないというべきである。
3 次に,被告人の供述については,その信用性に疑いを容れる次のような事実がある。
(1) 被告人は,検察官の取調べに対し,下北沢駅では電車に戻ろうとしたことはないと供述しておきながら,同じ日の取調べ中に,急に思い出したなどと言って,電車に戻ろうとしたことを認めるに至っている。これは,下北沢駅ではプラットホームの状況についてビデオ録画がされていることから,被告人が自己の供述に反する客観的証拠の存在を察知して供述を変遷させたものと考えられるのであり,こうした供述状況は,確たる証拠がない限り被告人は不利益な事実を認めないことをうかがわせるのである。
(2) 次に,被告人は,電車内の自分の近くにいた人については,よく記憶し,具体的に供述しているのであるが,被害者Aのことについては,ほとんど記憶がないと供述しているのであって,被告人の供述には不自然さが残るといわざるを得ない。
(3) 多数意見は,被告人の供述の信用性について,何ら触れていないが,以上によれば,被告人の供述の信用性には疑問があるといわざるを得ない。
4 原判決は,以上のような証拠関係を総合的に検討し,Aの供述に信用性があると判断したものであり,原判決の認定には,論理則や経験則に反するところはなく,また,これに準ずる程度に不合理といえるところもなく,原判決には事実誤認はないというべきである。
第3 論理則,経験則等と多数意見の論拠
 多数意見は,当審における事実誤認の主張に関する審査について,「原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきである」としている。この点は,刑訴法の正当な解釈であり,私も賛成である。しかし,多数意見がAの供述の信用性に疑いを容れる余地があるとして挙げる理由は,第2の5の(1),(2)及び(3)だけであって,この3点を理由に,Aの供述には信用性があるとした原判決の判断が,論理則,経験則等に照らして不合理というにはあまりにも説得力に欠けるといわざるを得ない。
 多数意見は,Aの供述の信用性を肯定した原判決に論理則や経験則等に違反する点があると明確に指摘することなく,ただ単に,「Aが受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があることは否定し難い」と述べるにとどまっており,当審における事実誤認の主張に関する審査の在り方について,多数意見が示した立場に照らして,不十分といわざるを得ない。
 裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見と異なり,上告審たる当審としての事実認定に関する審査のあり方を踏まえ,また,多数意見が第2,1において指摘するところをも十分考慮した上で,本件記録を精査しても,原判決に判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認がある,と認めることはできないのであって,本件上告は棄却すべきものと考える。以下,敷衍する。
1 当審は,制度上法律審であることを原則とするから,事実認定に関する原判決の判断の当否に介入するについては自ら限界があり,あくまで事後審としての立場から原判決の判断の当否を判断すべきものである(最二小判昭和43.10.25刑集22巻11号961頁参照)。具体的には,一審判決,原判決及び上告趣意書を検討した結果,原判決の事実認定に関する論理法則,経験則の適用過程に重大な疑義があるか否か,あるいは上告趣意書に指摘するところを踏まえて記録を検討した場合に,原判決の事実認定に重大な疑義が存するか否か,及びそれらの疑義が,原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるに足りるものであるか否かを審査すべきこととなる。
2 本件は,被告人が全面否認し,物証も存しないところから,原判決の事実認定が肯認できるか否かは,被害事実の有無に関するAの供述の信用性及びAの加害者誤認の可能性の有無により決するほかない。そのうち加害者誤認の可能性の点は,一審判決が判示する犯人現認に関するAの供述の信用性が認められる限り,否定されるのであり,また弁護人からも加害者誤認の可能性を窺わせるに足る主張はない。そうすると本件では,Aの被害事実に関する供述の信用性の有無のみが問題となることとなる。
3 そこで,上述の視点に立って本件記録を精査しても,Aの供述の信用性を肯認した原判決には,以下に述べるとおり,その論理法則,経験則の適用過程において重大な疑義が存するとは到底認められないのである。
(1) Aは一審において証言しているが,その供述内容は首尾一貫しており,弁護人の反対尋問にも揺らいでいない。また,その供述内容は,一審において取り調べられたAの捜査段階における供述調書の内容とも基本的には矛盾していない。
(2) 多数意見は,Aの述べる公訴事実に先立つ向ヶ丘遊園駅から成城学園前駅に着く直前までの痴漢被害は相当に執ようで強度なものであるにもかかわらず,車内で積極的な回避行動を執っておらず,成城学園前駅で一旦下車しながら,車両を替えることなく再び被告人の側に乗車している点も不自然であるなどとしているが,Aは,満員で積極的な回避行動を執ることができず,また痴漢と発言して周囲から注目されるのが嫌だった旨,及び成城学園前駅で一旦下車した際に被告人を見失い,再び乗車しようとした際に被告人に気付いたのが発車寸前であったため,後ろから押し込まれ,別の扉に移動することなくそのまま乗車した旨公判廷において供述しているのであって,その供述の信用性について,「いささか不自然な点があるといえるものの・・・不合理とまではいえない」とした原判決の認定に,著しい論理法則違背や経験則違背を見出すことはできないのである。
(3) また,多数意見は,本件公訴事実の直前の成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性に疑問が存することをもって,本件公訴事実に関するAの供述の信用性には疑いをいれる余地があるとするが,上記のとおり成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定が不合理であるとはいえず,他に本件公訴事実に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定に論理法則違背や経験則違背が認められず,また,Aの供述内容と矛盾する重大な事実の存在も認められない以上,当審としては,本件公訴事実にかかるAの供述の信用性について原判決と異なる認定をすることは許されないものといわざるを得ない。
4 なお,付言するに,本件記録中からは,Aの供述の信用性及び被告人の否認供述の信用性の検討に関連する以下のような諸問題が窺える。
(1) Aの供述に関連して
 Aの痴漢被害の供述が信用できない,ということは,Aが虚偽の被害申告をしたということである。この点に関連して,弁護人は,Aは学校に遅刻しそうになったことから,かかる申告をした旨主張していたが,かかる主張に合理性が存しないことは明らかである。女性が電車内での虚偽の痴漢被害を申告する動機としては,一般的に,①示談金の喝取目的,②相手方から車内での言動を注意された等のトラブルの腹癒せ,③痴漢被害に遭う人物であるとの自己顕示,④加害者を作り出し,その困惑を喜ぶ愉快犯等が存し得るところ,Aにそれらの動機の存在を窺わせるような証拠は存しない。
 また,Aの供述の信用性を検討するに当たっては,Aの過去における痴漢被害の有無,痴漢被害に遭ったことがあるとすれば,その際のAの言動及びその後の行動,Aの友人等が電車内で痴漢被害に遭ったことの有無及びその被害に遭った者の対応等についてのAの認識状況等が問題となり得るところ,それらの諸点に関する証拠も全く存しない。
(2) 被告人の供述に関連して
 本件では,被告人は一貫して否認しているところ,その供述の信用性を検討するに当たっては,被告人の人物像を顕出させると共に,本件当時の被告人が置かれていた社会的な状況が明らかにされる必要があり,また,被告人の捜査段階における主張内容,取調べに対する対応状況等が重要な意義を有する。
 ところが,被告人の捜査段階における供述調書や一審公判供述では,被告人の人物像はなかなか浮かび上っておらず,原審において取り調べられた被告人の供述書及び被告人の妻の供述書等によって,漸く被告人の人物像が浮かび上がるに至っている。また,その証拠によって,被告人は,平成18年4月に助教授から教授に昇任したばかりであり,本件公訴事実にかかる日の2日後には,就任後初の教授会が開かれ,その時に被告人は所信表明を行うことが予定されていたことなど,本件事件の犯人性と相反すると認められ得る事実も明らかになっている。
 また,近年,捜査段階の弁護活動で用いられるようになっている被疑者ノートは証拠として申請すらされておらず,被告人が逮捕,勾留された段階での被告人の供述内容,心理状況に関する証拠も僅かしか提出されていない。さらに,記録によれば,被告人の警察での取調べ段階でDNA鑑定が問題となっていたことが窺われるところ,その点は公判では殆ど問題とされていない。
(3) 仮に上記(1),(2)の点に関連する証拠が提出されていれば,一審判決及び原判決は,より説得性のある事実認定をなし得たものと推認されるが,以上のような諸問題が存するとしても,当審として原判決を破棄することが許されないことはいうまでもない。
検察官大鶴基成 公判出席
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男 裁判官 那須弘平 裁判官 近藤崇晴)

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