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痴漢東京

東京高等裁判所判決/平成21年(う)第833号

主文

原判決を破棄する。
被告人は無罪。

理由

第1 控訴趣意について
 本件控訴の趣意は,弁護人高原將光,同野呂芳子連名作成の控訴趣意書記載のとおりであるから,これを引用する。
 弁護人の控訴趣意は,訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張であるが,まず,事実誤認の論旨から検討する。
第2 事実誤認の論旨について
 1 論旨は,要するに,原判決は,「被告人は,平成20年6月29日午後5時32分ころ,東京都港区(以下略)東京地下鉄株式会社○○駅3・4番線ホーム上りエスカレーター上において,A(当時26歳)に対し,そのスカート内を撮影する目的で,持っていたカメラ機能付き携帯電話機を同人の後方からスカート下方に差し入れ,もって,公共の場所において,人を著しくしゅう恥させ,かつ,人に不安を覚えさせるような卑わいな行為をした。」との事実を認定したが,被告人は,上記の行為をしていないから,原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というのである。
 2 そこで,原審記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せ検討する。まず,関係証拠によれば,以下の(1)ないし(4)の各事実が認められる。
 (1) A(以下,「A」という。)は,原判示の本件当日,帰宅のため南北線に四谷駅で乗車し,○○駅に午後5時30分ころに着いて,前から2両目か3両目のエスカレーターに近い車両から地下3階の同駅3・4番ホームに降り,直ぐ近くの地下2階へ通じるエスカレーター(長さ約23.1メートル,幅約1.1メートル,以下単に「エスカレーター」という。)に乗って,ステップの左側に立った。そのとき同女は,上が紺色シャツで,膝上10センチメートル程度のフレアの白色スカートを履き,ストッキングを履かない素足の状態であった。
 被告人は,本件当日,帰宅のため,市ヶ谷駅から南北線に乗車し,○○駅に午後5時30分ころに着いて,同じく,地下3階の同駅3・4番ホームに降り,その後,Aと同じエスカレーターに乗って,Aから2段下くらい後方のステップ左側に立った。被告人は,肩にバッグを掛け右手には傘を持っていた。
 (2) Aは,エスカレーターを上りきる少し手前の地点で,自分の右脚の裏側で膝から少し上辺りに何かが触れた感覚がしたことから,右側から後ろを振り向き,それと同時くらいに電子音を聞いた。Aは,そのときの被告人の様子等から,被告人が自分を盗撮したものと判断し,被告人の手を掴み,エスカレーターを上りきった地点で,被告人の胸ぐらを掴んで壁に押し付け,被告人に対し怒りの言葉を発するとともに,「誰か駅員を呼んで下さい。」などと叫んだ。
 (3) そのとき,たまたまその場を地下鉄の運転士2名が通りかかったが,そのとき被告人はAに対し,「すみません。」などと謝った。被告人とAは,上記運転士らとともに同駅事務室に行き,被告人は同所でB駅助役(以下,「B助役」という。)から事情を聞かれた。B助役は,被告人に対し,「どうしたの,盗撮しちゃったのか,まだ若いんだから,素直に認めて謝りなさい。」などと言ったが,被告人は,素直な態度で「はい,はい。」などと受け答えし,B助役は被告人が盗撮したことを認めたものと認識した。さらに,B助役は,「画像をどうしたの。」と被告人に尋ねたところ,被告人は「消しました。」と返事した。B助役はこれを被告人が盗撮した画面を消したものと理解した。
 (4) B助役は,警察官を呼び,被告人とAはやってきた警察官らに連れられて高輪警察署に赴き,同署で,被告人は主としてC警察官(以下「C警察官」という。)から,AはD警察官(以下「D警察官」という。)から事情聴取を受けることとなった。被告人は,C警察官からの事情聴取に対して,当初,盗撮の事実を否認したが,その後その事実を認めるに至った。しかし,被告人は,その後,本件事実を否認するに至り,原審第1回公判以来否認の態度を貫いている。
 3 争点について
 本件の争点は,被告人が携帯電話機を,盗撮する目的でAのスカートの中に差し入れたかどうかということである。
 原判決が,上記の点を認定するに当たって主たる証拠としたのは,A及びB助役の供述と被告人の自白である。このうち,最も重要と考えられるのは,Aの供述(同人の供述によって認められる情況事実)と被告人の自白である。そこで,以下において,まず,Aの供述と被告人の自白について検討し,その後に,B助役の供述及びその余の諸点について検討することとする。
 ところで,当審における事実取調べとして,医師E作成の「事件本人Fの精神科的診断と知的能力,表現能力などについての意見書」(当審弁第11号証)を取調べ,証人Eの証人尋問を実施したが,上記意見書及び証人尋問の結果(以上を合わせて,「E意見」という。)によると,被告人に対する問診及び複数の心理テストの結果から,被告人はアスペルガー障害を有していると診断されること,アスペルガー障害の一般的な特色として,①対人関係を作れない,他人との会話ができない,どのような言葉で返していいか分からない,空気が読めない,そういったコミュニケーションの障害と,②非常なこだわり,固執,ある部分に非常に集中してしまうことがあること,そして,被告人の場合には,アスペルガー障害を有しているため,曖昧さを理解できず,理解できるのは極めて具体的な質問に限られること,被告人は,独特なこだわり,過剰な集中,社会性の乏しさ,著しい不器用さ,対人関係が持てないこと,想像力が著しく乏しいことなどの障害を有していることが指摘されている。E医師はその学識,経歴や業績等からして,専門家として十分な能力を備えている上,その診断は,被告人の問診や心理テスト等を含めて適切な方法によりなされていることが認められ,以下の検討においては,E意見を加味して行うのが相当である。
 (1) Aの供述について
 Aは,上記のように被害者とされる者であるが,同人は前記のような経緯からも明らかなように,当時の状況を踏まえて,被告人が自分を盗撮したものと判断したのであり,直接,本件事実を目撃したわけではない。したがって,同人が,当時の状況を正確に認識し,それを正確に供述しているか,それによって,どのような状況があったと認定されるのか,あるいは認定されないのか,また,それをもとにして同人が盗撮されたと考えたその判断が正しいかどうか,以上の点について,慎重に検討しなければならない(もとより,Aは被告人とはこれまで面識がなく,被告人を陥れようとして虚偽の供述を行うことは考えられないのであるが,そうではあっても,上記の諸点は,十分に検討されなければならない。)。
 Aは,当時の状況について,原審公判廷において,検察官,弁護人等から順次質問を受けて,詳細に供述しているのであるが,まず,検察官からの質問を受けて,概括的な状況として,「右足の太股の裏側に何か触れた感触がして,振り向きざまに,シャッター音というか電子音がしたので,びっくりして私の下にいる男性を見たところものすごい驚いた顔をして逃げようとして,携帯電話を手に持っていたんですけど,それも隠そうとしたので,盗撮されたんだなと瞬間的に分かった。」旨を供述する。
 ここで,Aが被告人から盗撮されたと判断した重要な点は,①太股の裏側に何かが触ったということ,②シャッター音ないし電子音がしたということ,そして,③振り返ったときの被告人の様子・動き(それに加えて,駅員が来たときの被告人の言動)の3点であることが分かる。そこで,以上の3点について検討することにする。
 まず,太股の裏側に何かが触れた感触がしたとの点(①)であるが,Aは,自己の右脚裏側の上部に触れたものは,その感触からして,携帯電話機であると思う旨供述する。同人は直接同所に触れた物を見たわけではなく,脚の感覚でそう思ったと証言しているものである。同人は,エスカレーターに乗っているときに,突然,自己の右脚部分に何かが触れた感触を感じたというのであって,何かが触れたことは間違いないとしても,もともと,触れた物が何かを脚の感覚だけで判別することは難しいことと思われる上,それが全く予期していない出来事であってみれば,その感触だけで,携帯電話機であったと判別するのは,困難であったと思われる(後述のように,その触れたものにつき,被告人が所持していたビニール傘の柄であることが否定できないのであるが,その当たったものが携帯電話機であったのか被告人の持っていたビニール傘の柄であったのかの判別も困難であったと思われる。)。また,Aは,振り返ったときに,被告人が携帯電話機を手にしていることを見ているから,直感的に,自分の太股の裏に当たったものが携帯電話機であると,思い込んだ可能性も否定できない。感触だけで,携帯電話機であると思う旨のAの供述は直ちに信用できないものと判断される。
 また,上記のように,Aは振り返ったときに,被告人が携帯電話機を手にしているのを目撃しているのであるが,被告人の身体に接着して手にしているのを見たというのであり,後記の被告人の弁解状況にも照らせば,この事実をもって,Aの太股の裏辺りに当たったものが被告人の携帯電話機であったと考えることも相当でない。
 しかし,携帯電話機以外に一体何が当たったのかという点も検討しておかなければならない。被告人は,前記のように,右手に傘(白いビニール傘)を持って,Aの2段くらい後ろのステップ上に立っていたのであるが,被告人は,ガンダムの画面を見ることに熱中していたため,その傘の柄が当たったのではないかと供述している。この点は,Aと被告人がそれぞれのステップの前方に近い位置に立っていたのか,後方に近い位置に立っていたのかなどその位置関係にもよるが,距離的には被告人の持っていた傘の柄がAの脚の裏辺り(Aは,膝から上約10センチメートルの辺りと供述する。)に当たる可能性がないわけではない。そして,被告人のいうとおり,被告人が,携帯電話機でガンダムの画面を見ることに熱中していたとすれば,被告人が右手に持っていた傘の柄が,偶然Aの太股の後ろ辺りに当たったという可能性も否定できないように思われる。
 以上によれば,Aの供述のみに依拠して,Aの太股の裏辺りに当たったものが,被告人の携帯電話機であった(これは,被告人の犯行を裏付ける重要な情況事実である。)と断定することはできないというべきである。
 次に,Aがシャッター音ないし電子音を聞いたという点(②)について検討する。Aは,シャッター音という表現も使っているが,正確には,電子音を聞いたと供述しているのであり,それがどのような音であったのかに関しては,明言を避け,シャッター音であると断定することはできないとしている。ただし,音を聞いたのは1回で,短い音であった旨供述している。ところで,当審における携帯電話機の検証の結果によれば,本件携帯電話機と同機種の携帯電話機の標準的なシャッター音は「かしゃーん」というかなり余韻の残る印象的な音であり,その他の選択音として使用できるシャッター音もかなりの特徴を持つ音である。被告人は,原審公判廷で,「エスカレーターに乗ってすぐ左ポケットに入れていた携帯電話を左手で取り出して15枚くらいのガンダムの画像を切り替えながら見ていた。画像を切り替えるときは電子音がする。」と供述している。しかし,Aはその電子音を1回しか聞いていない旨供述しており,被告人が供述するように,携帯電話機の操作を続けていたとすると,Aはそのような操作音を何度も聞いているはずである。このことを考慮すると,Aが聞いた音が画像を切り替える操作音であったと断定することもできない。しかし,Aの音に関する供述が上記のようなものにとどまる上,実際にAの身体を撮影した画像が存在しないこと(その後消去したか否かの問題は存するがこの点は後に検討する。),Aは振り向いた際に(振り向きざまに)シャッター音が聞こえたというのであるから,被告人がAのスカートの中を盗撮したのだとすれば,その状況を目撃していてよいはずであるのにそうではないこと(むしろ,被告人の身体に接着して,被告人が携帯電話機を手にしていた旨供述している。),そもそも混雑している車両内ならともかく,前記のようなエスカレーター上において盗撮目的で大きく目立つシャッター音を立てることがありうるものか疑問があること(もともと,携帯電話機の写真装置は盗撮を防ぐ目的である程度大きいシャッター音が出るように設計されている。)等にも照らすと,Aが聞いた電子音を,被告人がAを盗撮した際のシャッター音であるとすることには疑問が残るといわざるを得ない。
 続いて,Aが振り向いた際の被告人の様子・言動(③)について検討する。この点につき,Aは,Aが振り向いた際,被告人が驚いたような表情をし,所持していた携帯電話機を後方に引き,空いているエスカレーターの右側から後ずさりをするように下に降りようとした,Aは被告人の胸ぐらを掴まえるなどしたが,そこに駅員が来たとき被告人は頭を下げて謝ったなどと供述する。これらの供述は,Aが実際に目で見た状況に関するものであり,そのとおりの状況があったものと認められる。Aはこのような被告人の言動を見て,被告人が自分を盗撮したものと直感したのであるが,問題は,このような状況が,Aが判断したとおりに,被告人の犯人性を示すものであるか否かということである。この点,被告人は原審公判廷において,Aが振り向いた際には,「何か急に怒鳴り声がしたので,自分は驚いた顔というのですか,そういうことはありました。」「(携帯電話機については)もうすぐ,エスカレーターを上がり切るところだったので,改札に出ていくところなので(ポケットに)しまっていました。」などと供述しているのであるが,エスカレーターの直前にいた女性が突然振り向き,怒鳴られるという事態に遭遇したとすれば,何らやましい行動をとっていなかった者であっても,そのような態度を示すということはあり得ないことではないと思われるのであり,上記のような被告人の供述は,一概に否定できないというべきである。所持していた携帯電話機をポケットに仕舞おうとしていたとの点についても,被告人が携帯電話機を被告人の身体に接着して手にしていた旨のAの供述に照らして,これを全く否定できないように思われる。そして,E意見によれば,アスペルガー障害を有する被告人の場合,予期しない出来事に遭遇したときには,通常の人よりも更に大きく混乱することが認められるというのであり,その時被告人が,予期せぬ事態に遭遇したことから,通常人以上に大きく混乱してしまい,上記のような表情や行動をとった可能性は十分にありうることと判断される。さらに,被告人が,Aに対して,「すみません。」と謝罪したことに関しては,被告人は原審公判廷で,「Aがすごく怒っていたので,僕は取り敢えず謝罪した。僕は彼女がなぜ怒っているのか全然分からず,盗撮の疑いがかけられているとは分からなかった。僕は内気な性格で彼女の勢いに負けていた。」旨供述するのであるが,これも,E意見は,「Aが振り向いて怒鳴ったとき,被告人の注意は携帯電話機の1点に集中しており,周囲の状況があまり見えていない状況にあり,Aが振り向いて怒鳴ったという状況は被告人の予測の範囲と非常に遠いものであるから,アスペルガー障害を有する被告人は大きく混乱したはずである,被告人は盗撮という言葉を聞いたとしても理解できず,事情が分からないのに,謝罪したのは,アスペルガー障害のため非常に混乱に陥りやすい部分もあり,頭の中が真っ白になってしまって,受け身的な対応になったからと思われる。」と説明する。このE意見は,被告人が本件犯行を行っていないとしても,上記のような言動を行う可能性があることを説得的に説明しており,被告人の上記の言動をもって,被告人が,盗撮したことを認めたものと判断することは相当でないというべきである。
 以上,Aの供述にしたがって,Aが被告人によって盗撮されたと判断した主要な点について検討したが,結局のところ,Aの供述によって,被告人が携帯電話機を盗撮する目的でAのスカートの中に差し入れたと推認するには,疑問が残るといわなければならない。
 (2) 被告人の自白について
 次に,被告人の自白について,検討する。なお,被告人の自白としては,被告人作成の平成20年6月29日付けの「盗撮したこと」と題する書面(原審乙第8号証,以下「被告人作成の上申書」という。),被告人の同日付けの警察官調書(6丁のもの,原審乙第2号証,以下「被告人の警察官調書」という。),及び同年7月31日付けの検察官調書(原審乙第4号証,以下「被告人の検察官調書」という。)が存在する(以上を合わせて,「被告人の供述調書等」という。)。
 最初に,自白の経過について若干説明しておく。被告人は,本件当日,前記のような経過を経て,高輪警察署において,C警察官の取調べを受け,当初否認していたものの,その後自白に転じ,被告人の警察官調書が作成された。その取調べの最中にC警察官の指示により,被告人作成の上申書が作成された。被告人はD警察官の指示により犯行状況を再現し,D警察官は同日,その際撮影した写真に基づいて再現報告書を作成した。その後,被告人は,検察庁において,司法修習生も関与して取調べを受け,被告人の検察官調書が作成された。以上のとおりである。
 以下,これら自白の信用性について検討するが,これら被告人の自白の特徴として,被告人の警察官調書(及び被告人作成の上申書)と検察官調書との間に,以下に述べるような供述の変遷が見られ,その変遷の理由が全く見当たらないこと,被告人の自白には無視できない不自然,不合理なところが多々存在することが認められる。自白の信用性を判断するに当たっては重要な点であるので,まずこれらの点から検討を始める。
 まず,供述の変遷であるが,被告人は,警察官調書では,「今まではミニスカートをはいている女性が階段を上っていると,身体をかがめてのぞき込み,パンツが見えないとがっかりして,見えるとドキドキしていました。」と供述するものの,本件事件の際にAのミニスカートの中をのぞき込もうとしたなどとは供述はしていなかった(むしろ,「自分の後ろに他の人が居たので,屈んでのぞき込めばわかってしまうと思い,携帯電話で撮ろうと決めました。」と供述している。)のに,検察官調書では,突如,「上りのエスカレーターに乗って立っている若い女性が目にとまり,膝が出るくらいの長さのスカートを履いていたため,私は,スカートの中をのぞいたら,パンティが見えるのではないかと思い,スカートの中をのぞこうとして身をかがめました。しかし,身をかがめても,スカートの中は見えませんでした。」と供述している。
 シャッターボタンを押したか否かについて,被告人は,警察官調書では,「左手で携帯電話を持って,腕を差し出し,スカートに携帯電話の先頭部分が掛かるくらいのところでボタンを押して撮影した。」と供述していたのに,検察官調書では,「私は,携帯電話のシャッターのボタンを押すために親指をボタンにかけたところまでは覚えているのですが,実際にボタンを押したかどうかは,はっきりとは覚えていません。」と供述している。
 携帯電話機がAの身体に触れたか否かについて,被告人は,警察官調書では,「自分が携帯電話を差し出した時,身体のどこかに当たったかもしれないが,(中略)とにかく興奮状態だったので,全くわかりません。」と供述していたのに対し,検察官調書では,「私は,携帯電話を女性のスカート内に差し入れたときに,携帯電話が何かに当たって左手に振動を感じたことは覚えていますが,(中略)何に当たったのかはっきりとは分かりませんでした。」と供述している。
 携帯電話機から撮影した写真を消去した状況について,警察官調書では,「エスカレーターを上りきり,(女性から)いきなり胸ぐらを掴まれたので,やばいと思い,携帯電話の電源を切ったのです。写真を撮っても,登録する前に電源を切ってしまえば保存されないので,捕まった時に映像を確認されても残らないからです。」と供述していたのに対し,検察官調書では,「私は,携帯電話を差し入れた直後に,女性が振り向いたので,私は『バレた』と思い,携帯電話を待ち受け画面に戻しながら,左手を引っ込めました。」と供述している。
 以上の点は,いずれも,本件犯行に直結する重要な供述であるにもかかわらず,大幅に変遷しており,しかもそのように変遷した理由は一切示されていない。
 次に,被告人の供述調書等における供述内容の不自然・不合理な点について,個々具体的に検討する。
 ① 本件犯行の動機等について
 被告人は,本件犯行の動機等に関して,警察官調書において,「普段は,レンタルビデオ店に行ってエロビデオ,DVDを借りて来て自宅で見たり,その他エロ雑誌等を見てオナニーをして,欲求を満たしている。(映像は)盗撮,痴漢ものが好きでよく見ている。ビデオ,DVD等で見た映像やストーリーが頭の中に蓄積されている。」,「女性を見た時,以前見たビデオの1シーンを回想させるというか,カメラマンが女性に近づき,スカートの中を盗撮する場面が頭に浮かび,自然と女性に近づいて行った。」,「ビデオ等を見過ぎていて,現実と蓄積されているエロ映像の区別が付かなくなってきているので,今回の様な事件を起こしてしまった。」などと述べている。また,検察官調書において,アダルトビデオ等を見ていることについて,「私は,レンタルビデオ店で借りたエロビデオを見ることで,性的欲求を充たしていた。大体,週に3,4回,1回あたり30~40分くらいビデオを見ており,その中には,盗撮ものや痴漢もののビデオも含まれていた。」と供述するとともに,本件犯行の動機として,「以前にビデオで見た,後ろからカメラマンが女性に近づいていきスカートの中を盗撮するシーンがよみがえってきた。」などと供述している。
 しかしながら,被告人は当時24歳の男性ではあるものの,E意見によれば,ロールシャッハテストにおいて,8割近くにおいて,アニメ,ゲームキャラクターに見られる名前を上げ,通常混じてくる性的な回答は全く現れず,このテストは意図的に性的無関心を装えるテストではないことから,被告人は,幼稚でアニメキャラクターにのめりこみ,およそ女性への関心が薄いことが認められ,被告人が1週間に3,4回恒常的にエロビデオを見るような生活をしているということはあり得ないというのである。さらに,被告人がレンタルビデオ店において,アニメ等のDVDを借りていることはうかがえるものの,アダルトビデオ関係のDVD等を借りている状況は全くうかがえず,被告人の趣味はガンダム(ロボット)などのアニメであることが明らかである。これらの事情からすると,上記のように,アダルトビデオ等を恒常的に見ていたという被告人の供述は,被告人の人格像や日常の生活像と余りにも異質であって,到底信用することができない。本件盗撮をするに至った動機についてアダルトビデオの場面が浮かんだという被告人供述が信用できないことも同様である。
 ② 電光掲示板を見てAに気が付いたという供述について
 被告人は,検察官調書において,「○○駅で,次の電車の時間を確認するため,天井から吊り下がっていた電光掲示板を見た。その時に,掲示板の方向にある上りのエスカレーターに乗って立っている若い女性が目にとまった。(中略)私は,その女性のスカートの中をのぞいたら,パンティが見えるのではないかと思い,スカートの中をのぞこうとして身をかがめたが,スカートの中は見えなかった。(中略)私は,携帯電話のカメラでスカートの中を撮れるんじゃないかと思い,エスカレーターの下で後ろを振り返って誰かが見ていないか確かめてから,その女性の後を追いかけ,女性が立っていた上りエスカレーターを早歩きで上っていった。」旨供述している。しかしながら,原審及び当審で取調べた関係証拠によれば,○○駅において,上記電光掲示板は先頭車両の一番前のドアより前側に位置していること,その位置からエスカレーターの上り口までは,約20メートル離れていることが認められる。被告人の上記検察官調書における供述からすると,被告人は,先頭車両の一番前のドアの停止予定位置より先において車両を待っていたことになるが,それは不自然である。そして,上記のように約20メートルも離れていたのに,Aのパンティが見えると思い,身をかがめたなどということは,ますます不自然である。さらに,約20メートル離れたエスカレーター上にいたAを認め,被告人がAを追い掛けたというのであるが,当然,駅のホームには他の乗客がいたと思われるから,被告人はその乗客らの間を駆け抜けて約20メートル進み,さらに,エスカレーター上においても駆け上がらなければならず,周囲からは相当奇妙に思われる行動を取ったことになる。また,「エスカレーターの下で後ろを振り返って誰かが見ていないか確かめた。」という供述についても,日曜日の午後5時半ころという時間帯を考慮すると,他の乗客がいないはずはないのであって,この供述も不自然といわなければならない。
 ③ エスカレーターでAに追いつくまでについて
 被告人は,警察官調書において,「以前見た映像の1シーンが回想され,自然と身体が女性を追ってしまい,都合がいい様にエスカレーターは長く,間に誰もいなかったので,自分はエスカレーターを上り女性に近づいた。」と供述しているところ,Aの供述によると,Aは,いつも○○駅のエスカレーターに一番近い車両に乗っており,本件当日同駅に着いたときも,Aが同じ電車から降りた乗客の中では一番最初にエスカレーターに乗ったというのであり,さらに,Aは「エスカレーター上で,自分の前に人はいなかったと思うが,降りる人が多い駅なので,後ろには人はたくさんいたと思う。」とも供述している。上記A供述や本件が○○駅で日曜日の午後5時半という時間帯に起こったことを考慮すると,エスカレーター上において,Aの後ろに他の乗客がいなかったとは考えられず,Aの後ろのエスカレーターには誰も乗客がいなかった旨の上記被告人の供述は誠に不自然である。
 ④ 盗撮した画面を消去したこと
 被告人は,警察官調書において,「自分が,ボタンを押して撮影すると,女性が,振り返ってスカートの中撮ったでしょと怒って言ってきたので,自分は,首を横に振りながらいえ,いえと言った。丁度エスカレーターを上りきり,いきなり胸ぐらを掴まれたので,やばいと思い,携帯電話の電源を切った。写真を撮っても,登録する前に電源を切ってしまえば保存されない。」と述べ(被告人作成の上申書においても,「女性から胸元を掴まれ,あわてて証拠である画像を消去した。」旨の記載がある。),他方,検察官調書においては,「私は,携帯電話を差し入れた直後に,女性が振り向いたので,私はバレたと思い,携帯電話を待ち受け画面に戻しながら,左手を引っ込めた。」旨供述している。
 しかしながら,被告人がAから胸ぐらを掴まれた際に,携帯電話機の電源を切ったと供述する点については,Aから胸ぐらを掴まれて押さえつけられている状況の下に,被告人が携帯電話機の電源を切るなどということができるとは思われない上,そのようにAが被告人と向かい合っている際に,被告人が携帯電話機の電源を切ったのであれば,Aは当然それに気が付くはずであるのに,Aがそのような供述を一切していないことにも照らしても,不自然といわざるを得ない。次に,検察官調書における供述については,関係証拠によれば,確かに,本件携帯電話機で写真を撮影した後,電源ボタンを2回連続して押せば,その写真は保存されずに,待ち受け画面に戻すことができることが認められるものの,E意見によれば,被告人は計画を立てること自体が非常に不得手であって,盗撮する前に,盗撮発覚時の対策を予め考えることは不可能であり,また,被告人は動作性IQが際立って低いことから,検察官調書で述べるような行動をとること,すなわち,被害者とされる女性が振り向いた瞬間にスカートから携帯電話機を完全に抜いて手元に持ってきたり,被害者の女性に怒鳴られた瞬間に画面を消去すべきと判断して即座に消去するなどという行為を行うことは,相当に難しいというのである。このような被告人の能力や性格傾向に照らせば,検察官調書において供述するような方法で,待ち受け画面に戻したという被告人供述はやはり不自然というべきである。
 以上のとおりであるが,このような供述の変遷や多くの不自然な供述が生じたのは,被告人が取調官から,自ら経験していない事柄について質問され,捜査官に誘導されるまま供述したり,あるいは,捜査官が足らないところを作文するなどしたためではないかとの疑いが払拭できない。また,被告人作成の上申書についても,余りにもそつのないまとまった文章によって作成されており,本件記録やE意見からうかがわれる被告人の能力等に照らして,C警察官が供述するように「やったことを書いてくれ。」といわれただけで,すらすらと書いたものとは到底解されない。以上のとおりであり,被告人の自白はいずれも信用性に欠けるといわざるを得ない。弁護人は,被告人の取調べ過程等につき種々主張するが,それらの所論につき,これ以上の検討を行うまでもなく,もはや被告人の自白に信を置くことはできないといわなければならない。
 (3) 被告人の本件事件後の言動について
 以上のとおり,本件犯罪事実の立証を支える柱ともいうべき最も重要なAの供述と被告人の自白に疑問があることは明らかであり,もはや犯罪事実の立証としては不十分というべきであるが,被告人のB助役に対する言動等の中には,一見自らの犯行を自認しているのではないかとうかがわせる点があるので,この点についても,検討しておく。
 B助役の供述については,同人が,A及び被告人に特に有利にあるいは不利に供述する理由は全くないから,あえて虚偽の供述をする理由は考えられず,また,その供述内容にも特段疑問なところはうかがわれず,信用性は高いというべきである。問題は,その供述によって認められる事実が被告人の犯人性を示しているかという点である。B助役の供述によれば,前記のように,本件当日,エスカレーター上の出来事があった後,被告人とAが駅事務室に連れられてきたこと,このときの被告人の態度は(よくある痴漢犯人の態度に比べても)非常に素直であったこと,B助役は被告人に対し,「どうしたの,盗撮しちゃったのか,まだ若いんだから,素直に認めて謝りなさい。」などと言ったところ,被告人は,素直な態度で「はい,はい。」などと述べ,B助役は被告人が盗撮したことを認めたものと認識したこと,さらに,B助役が,「画像をどうしたの。」と被告人に尋ねたところ,被告人は「消しました。」と述べ,B助役は被告人が盗撮した画面を消したものと理解したこと,以上の事実が認められる。B助役は,その後の警察官からの問い合わせに対して,上記のような理解(認識)に基づいて,被告人が自分に対して事実を認めていた旨回答したのである。この点について,被告人は,原審公判廷で,「(B助役ではない)駅員から『見ていた画像はどうしたのだ。』というふうに聞かれ,僕は,『それはもう消しました。』と言った。駅員が言っていた画像というのは,僕がエスカレータで見ていたガンダムの画像のことだと思い,見ていたガンダムの画像を画面から消したという意味でそのように答えた。僕は,自分に盗撮の容疑がかかっているというのはその時は分かっていなかった。」などと供述する。ところで,E意見は,被告人の言動を次のように説明する。すなわち,「被告人はエスカレーターで,Aから怒鳴られるなどしたことにより,パニック状態となっていた,その状態は駅事務室でも続いていた,被告人は,そのパニック状態と,(アスペルガー障害により)想像力が通常人よりも非常に乏しく非常に固執やこだわりが強く周りのことが見えないことから,非常な混乱状態に陥り,駅員から質問を受けている時点では,被告人は盗撮を疑われているということが分からなかった,被告人は,駅員から,「盗撮しちゃったのか。素直に認めて謝りなさい。」と言われても,その発言の意味を理解できなかった,B助役から「画像をどうしたの。」と尋ねられて,被告人が「消しました。」と答えたことについては,アスペルガー障害の人が理解できるのは極めて具体的な質問に限られており,さらに,アスペルガー障害である被告人には過剰な集中力があり,ガンダムの場面をエスカレーターに上りながらずっと見ていたことから,その一点に集中していて,画像をどうしたかと言われても,盗撮の画面のことを言われているとは分からず,ガンダムの画像のことしか頭になく,見ていたガンダムの画像を画面から消したという意味でそのように答えた」。以上のように理解できるというのである。被告人のそのときの言動はやはり通常の痴漢犯人のものとは異質なものを感じさせるのであり,E意見のように解釈することには十分な理由があると思われる。B助役の供述により認められる被告人の言動は,被告人の犯人性を示すものとはいえないものと判断される。
 そして,被告人がAや駅員らに抗議等をしておらず説明も求めていないこと,すなわち,被告人は,Aから怒鳴られても,なぜ怒鳴るのかAに説明を求めておらず,抗議もしていないこと,駅の事務室にも無抵抗で連れて行かれていること,さらに,B助役の質問内容が分からないというのに,同人に説明を求めず,「はい。はい。」と応答していることについても,E意見は,そのような被告人の言動について,「被告人は混乱の度合いが強く,盗撮行為を疑われているということが全く想像できなかったからである,被告人が,相手の発言内容が正確には分からないのに,それを確認するという行動をとらなかったのは,アスペルガー障害とは直接関係はなく,確認強迫や強迫性格によるのであり,それには個人差があるが,被告人の場合は確認行為をするという傾向は強くない,質問された内容が自分では正確に分からないというときに,それを確認することなく,応答するというのは,被告人には,これまで世の中で自分の主張が通らないことの繰り返しだったので,あきらめの気持ちがあった」と説明するが,被告人の上記のような言動についても,E意見によって十分説明可能なように思われる。
 (4) 以上によれば,原判決が,原判示の事実を認定する根拠とした諸点について,いずれも疑問があるといわなければならない。
 以上の検討に加えて,被告人が,原審公判以来一貫して事実を否認していること,被告人に同種事犯の前科等がないこと,被告人がアスペルガー障害であることやその性格傾向等についてはすでに検討したところであるが,もともと被告人はガンダム(ロボット)のようなアニメに強い関心を持つタイプの人間であり,性的関係に強い興味を示す人間ではないこと,そもそもそのような性的関係において問題を起こしたことがない被告人が,この事件当日突如として,直ぐに発覚してしまうような危険な情況の下に,盗撮行為に及ぶなどということはいささか理解し難いこと等にも照らせば,被告人が本件犯行を行ったとするには,合理的な疑問が残るといわなければならない。
 論旨は理由がある。
 以上のとおり,被告人を有罪とした原判決には事実誤認があり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。そこで,その余の控訴趣意に対する判断を省略し,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により更に判決する。
第3 自判
 本件公訴事実は,前掲の原判示の「罪となるべき事実」と同じであるが,この公訴事実については,犯罪の証明がないから,刑訴法336条により無罪の言渡しをする。
 よって,主文のとおり判決する。
平成22年1月26日
東京高等裁判所第4刑事部
裁判長裁判官   門野 博
裁判官   土屋哲夫
裁判官   村山智英

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